みなさん、こんにちは。仙台税理士・公認会計士の伊藤宏平です。
さて、私は独立を目指していますと最初の記事に記載していました。参考記事:少しも悔いもない生き方を。【その1】
その準備活動の中でなぜブログを始めたのかきっかけをお話ししたいと思います。
目次
【ブログを始めたきっかけ】
<独立後の営業を考えた>
独立を目指すって大変ですね。
日々時間を作って色々な準備が必要だと実感しています。
その一つに独立してからどうやって営業をするかというのが私の課題でした。
だって営業なんて監査法人にいる今も経験ないんです。
「おいおい大丈夫か?」と思われるかもしれませんが、これが監査法人にいる私も含めて多くの会計士の実態です。
私が入所した8年前からお客さんって変化していないですから。
法人設立当時の狩猟するための槍は、今や錆び付いてしまっています。
監査法人も税務と同じくストックビジネスなんですよね。
一度、会計監査人に選任されたら余程のことがない限り解任されません。
解任されませんが、監査報酬は下がり続けていますけどね。
ちなみに、新規ジョブについてもほとんど99.99999%は、銀行、証券会社、OBからの紹介です。
<独立する上で必要な知識を蓄えるため>
独立するって知識がものを言うんだと思うんです。
それは税務だけじゃなくて経営全般だったりと。
その知識の蓄積をする上でこのブログって非常にいいと思います。自分の勉強にもなりますし
自分と同じカテゴリーに興味や疑問がある人にとってもこのブログを見てもらうことは参考になると考えました。
<伝達能力向上のため>
人に何かを伝えることって意外と難しくないですか?
自分は当然のことでも相手にとっては当然じゃないことが世の中には多いと思います。
仕事をする上で相手に物事を伝えることの難しさの壁にいつもぶち当たります。
自分の伝え方がまずいのだろうといつも反省します。
それを解決するものとしてブログを書くことって自分の頭の整理にもなるし文章で伝えるので文章能力も向上します。
<独立の軌跡を残すため>
独立するきっかけを忘れないように備忘するためでもあります。
【ブログの効果について考える】
<インターネットの普及>
インターネットが世界中に普及する以前と比べて情報の取得方法は、大きく変化しています。
インターネット社会の現代において、何か調べたければすぐにパソコンや携帯電話ですぐに調べることができます。
今や当たり前のことですけど、これって凄いことですよ。
一昔前であれば本を片っ端から読み漁るか、人に教えてもらうなどアナログな方法でしかできなかったと思います。
でも何でパソコンや携帯電話で知りたい情報を調べることができるのでしょうか?
それってインターネット上にたくさんの情報が溢れているからですよね。
一昔前のように情報供給者が一方的に情報を提供する時代から、情報需要者が欲しい情報の中から自分で選択して必要な情報を取得することができるんですよね。
<ブログを通じて人となりを知れる>
一日に一回は、必ずなにか調べ物をしています。
最近は、独立した同業の諸先輩方のブログを見る機会が多くなりました。
今まで人のブログなんて見る習慣がなかった私が諸先輩方のブログをみていくうちに不思議と感じたことがあります。
そう、たくさんの投稿記事を読んでいるうちに投稿者のことが分かった気になっていることでした。
一度も会ったことがないのにですよ?不思議じゃないですか?変な親近感が湧いてきます。
あっ!!これがブログによる集客効果なのかなと考えました。
【最後に】
ブログは、多くの記事を書くことがインターネットで検索される条件のようです。
そう簡単に成果がでないようですし。かといってやらなければ成果はでないわけです。
なので、気を張らずに【ブログを始めたきっかけ】に記載した通り、営業の一助、知識の蓄積、文章力の向上を第一に続けたいと思います。
継続は力なりという言葉の通りコツコツが大事ですから。
みなさんも、少しブログについて興味がありましたら是非とも試す価値はあるのではないでしょうか?
ホームページのデザインも含めて意外とやればできるものです。
【編集後記】
リオのオリンピック白熱してますね。日本時間の9日昼現在で以下の獲得のようです。
- 柔道:金1個 銀0個 銅5個 計 6個
- 競泳:金1個 銀0個 銅1個 計 2個
- 体操:金1個 銀0個 銅0個 計 1個
- 重量:金0個 銀0個 銅1個 計 1個
- 合計:金3個 銀0個 銅7個 計10個
メダルを獲得するために4年間がんばった選手、そしてメダルを惜しくも取れなかった選手たちを称えたいと思います。凄い凄い!!
まだまだ日本の活躍に期待しましょう。
記憶に残る名場面を残すこともメダル以外に選手たちにとって名誉なことですよね。
仙台税理士・公認会計士の伊藤宏平でした。
それでは、また。